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| 2010年8月1日 257号 |
『お願いです!どうか、息子に会えるようにしてください!お願いします!どうか、どうか、会えるようにしてください!』『crossing(越境)』という映画の一場面。母親を喪い、身寄りもなく命がけで中国国境を越えてモンゴルの砂漠を彷徨う息子との再会を願って、先に「脱北」した主人公がひとり空港で祈る場面です。「祈る」ほかなすすべを持たない人間が、藁をもすがる気持ちで「泣き叫ぶ」という方が近い、そのようなシーン。▲私のハラボジ、ハルモニ、コモとアボジは、1946年の夏、大阪から故郷の済州島に向かう船のなかにいました。船の名前や大きさは聞きそびれてしまいましたが、アボジから「変な女の人」の話を聞いたことがあります。その船は、運悪く台風に直面したのでしょうか、船中の大人たちはみんなパニックになって、怒声を浴びせあいながら、積み荷を捨てたり、たいへんな喧噪のなかに置かれていました。その中で、その「変な女の人」は、体を前後にゆすりながら、眼を閉じて何かをぶつぶつとつぶやいていたそうです。それは、渾身の力を込めて祈るハルモニの姿でした。「軍国少年」だったアボジは、そのひとりのカトリックの女性の祈りを「女々しい」「とても奇妙な」ものと感じたそうです。アボジは1948年の「4.3事件」のときにハラボジといっしょに日本に密航(crossing)して以降、ついぞハルモニと会うことはありませんでした。先に述べた、映画のシーンを見たとき、他界する前に、力なくほほえみを浮かべながら、そんな話をしてくれた記憶が不意に私の方にやってきました。会ったことのないハルモニの声が聞こえたような気がしました。▲『crossing』の主人公は、結核の妻の薬を買おうと、数週間で帰るつもりで、「共和国」の炭坑の街から中国に密航し厳しい労働に耐えます。しかし、中国の公安に追われる(おわれる)身(み)となり、「インタビューを受ければお金をもらえる」と言われ、言われるままに行動した結果、意に反して「脱北者」として「南朝鮮」にたどり着きます。住み込みで働きながら悶々とした日々を送っていたある日、妻が命を落としてしまったことを知ります。文字通りの「命がけ」の行動の動機が根底から崩れた瞬間。「大事なことが書いてあるから」と、「共和国」で友人にもらった聖書を床に投げ捨てながら、彼は泣き叫びます。「朝鮮には神はいないのか!豊かな韓国にしか神はいないのか!」▲さまざまな理由で越境(cross)する人々がいます。その中には、私のアボジや映画の主人公のように、「個人の事情」と「国家の事情」とが折り合いがつかない、そういう人々もいます。この地にも、折り合いがつかないという「齟齬」のなかで、この地で生きてきた時間の積み重ねを突然根こぎにされてしまう方々がいます。いとも簡単に「国家の事情」が優先されて、ひとりひとりの「事情」や「祈り」が踏みにじられてしまう。私には、人間のもっとも深いところからわき出てくる「祈り」よりも優先すべきものがあるとは思えません。ひとりのなけなしの「祈り」がほかの人の「祈り」と交差(cross)して、大きな「希望」へとはぐくまれていく。社会が自らを「社会」と名乗るのならば、本来、「社会」はそこにこそ自らの存在意義を見いだすべきではなかったか。寝苦しい真夏の夜、眠りと目覚めの間を往ったり来たり(cross)しながらそんなことを考えました。(K) |
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| 2010年8月1日 257号 |
| 今月のかんだより おもな内容 |
| 1面 |
ゆたかにふくらむわくわくプログラム ・ 人権尊重学級報告 ・ キッズスペースのじゃがいも☆ ・ 6年生の思い出 |
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| 2面 |
子育て支援プログラム、小中学生プログラム、
中高生の活動などの予定 |
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| 3面 |
成人事業案内、高齢者事業プログラム(トラジ会など) |
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