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新作路9月

2010年9月1日 258号
sinjanglo★今年も暑い夏を迎え、ふれあい館でもふれあいキャンプ、おばけ屋敷、遠足など、いろいろなイベントが行われました。ぼくも全部ではありませんが、いくつかのイベントに初めて館のスタッフとして参加させてもらいました。準備に追われたり、思うようにうまく進行ができなかったり、苦労もたくさんありました。それでもイベント後の子どもたちの「楽しかった!!」という声を聞くとホッと安心します。ぼく自身も子どもの頃はふれあい館の色々なイベントに参加して育ってきています。そんなぼくがスタッフとして夏のイベントにかかわるようになりました。ぼくが子どもの頃のスタッフのような頼りがいのある大人というふうにはまだまだ全然なれていませんが、子どもたちが毎年夏に集まり、イベントを通して、新しい友だちを作ったり、少し自分と向き合ってみる、たとえば、ぼくもそうだったように、自分の育ってきた文化やルーツについて少しでも考えてみる、そんな場を作るためにこれから少しでも力になれたらと思います。(H)
★私にとって2回目の子どもと過ごす夏休みは様々なプログラムがあり、その中でも忘れられないことがありました。普段ふれあい館でスタッフに反抗したり年下に厳しい言葉を言ったりしていた一人の中学生が、ふれあい館の遠足に参加して年下の心配をしてくれたり、知らない子どもが困っているときに「これは、うやるんだよ」とやさしく教えていました。彼の姿が普段と違った一面で私の記憶に残っています。また、彼や他の学生たちも彼のような違った一面が見えるような企画をたてていけたらいいなと思います。<U>
★今年は到着してすぐにライター・マッチを使わず木の棒と板の火起こしセットで火を点けるところから始めました。火が無ければ料理がまったく出来ないのでみんなで誰が1番に火が起こせるか勝負してバーベキューを食べ体力を補充してから午後の遊びへ突入です。水着に着替え川へ直行でいきなり岩場に登りそこからダイブをして中学生の度胸試しをやりました。川をプカプカと浮きながら下流にあるテントまで帰りました。晩ごはんのカレーを食べた直後、突然の雨が降りだしましたが、雨がとぎれたすきに肝試しに行ったり、つぶれたテントを協力してなおしたり、遅くまでおしゃべりしたりして、意外と盛り上がっていました。今回のキャンプでは今まで面識があってもほとんど付き合いの無かった中学生たちとの交流を深めることができ自分にとっても有意義なキャンプだったと思います。(M)

 

新作路 8月

2010年8月1日 257号
sinjanglo『お願いです!どうか、息子に会えるようにしてください!お願いします!どうか、どうか、会えるようにしてください!』『crossing(越境)』という映画の一場面。母親を喪い、身寄りもなく命がけで中国国境を越えてモンゴルの砂漠を彷徨う息子との再会を願って、先に「脱北」した主人公がひとり空港で祈る場面です。「祈る」ほかなすすべを持たない人間が、藁をもすがる気持ちで「泣き叫ぶ」という方が近い、そのようなシーン。▲私のハラボジ、ハルモニ、コモとアボジは、1946年の夏、大阪から故郷の済州島に向かう船のなかにいました。船の名前や大きさは聞きそびれてしまいましたが、アボジから「変な女の人」の話を聞いたことがあります。その船は、運悪く台風に直面したのでしょうか、船中の大人たちはみんなパニックになって、怒声を浴びせあいながら、積み荷を捨てたり、たいへんな喧噪のなかに置かれていました。その中で、その「変な女の人」は、体を前後にゆすりながら、眼を閉じて何かをぶつぶつとつぶやいていたそうです。それは、渾身の力を込めて祈るハルモニの姿でした。「軍国少年」だったアボジは、そのひとりのカトリックの女性の祈りを「女々しい」「とても奇妙な」ものと感じたそうです。アボジは1948年の「4.3事件」のときにハラボジといっしょに日本に密航(crossing)して以降、ついぞハルモニと会うことはありませんでした。先に述べた、映画のシーンを見たとき、他界する前に、力なくほほえみを浮かべながら、そんな話をしてくれた記憶が不意に私の方にやってきました。会ったことのないハルモニの声が聞こえたような気がしました。▲『crossing』の主人公は、結核の妻の薬を買おうと、数週間で帰るつもりで、「共和国」の炭坑の街から中国に密航し厳しい労働に耐えます。しかし、中国の公安に追われる(おわれる)身(み)となり、「インタビューを受ければお金をもらえる」と言われ、言われるままに行動した結果、意に反して「脱北者」として「南朝鮮」にたどり着きます。住み込みで働きながら悶々とした日々を送っていたある日、妻が命を落としてしまったことを知ります。文字通りの「命がけ」の行動の動機が根底から崩れた瞬間。「大事なことが書いてあるから」と、「共和国」で友人にもらった聖書を床に投げ捨てながら、彼は泣き叫びます。「朝鮮には神はいないのか!豊かな韓国にしか神はいないのか!」▲さまざまな理由で越境(cross)する人々がいます。その中には、私のアボジや映画の主人公のように、「個人の事情」と「国家の事情」とが折り合いがつかない、そういう人々もいます。この地にも、折り合いがつかないという「齟齬」のなかで、この地で生きてきた時間の積み重ねを突然根こぎにされてしまう方々がいます。いとも簡単に「国家の事情」が優先されて、ひとりひとりの「事情」や「祈り」が踏みにじられてしまう。私には、人間のもっとも深いところからわき出てくる「祈り」よりも優先すべきものがあるとは思えません。ひとりのなけなしの「祈り」がほかの人の「祈り」と交差(cross)して、大きな「希望」へとはぐくまれていく。社会が自らを「社会」と名乗るのならば、本来、「社会」はそこにこそ自らの存在意義を見いだすべきではなかったか。寝苦しい真夏の夜、眠りと目覚めの間を往ったり来たり(cross)しながらそんなことを考えました。(K)

 

新作路 7月

2010年7月1日 256号
sinjangloふれあい館周辺の多くの市民から、高校無償化から朝鮮学校が除外されることについて、様々な声が寄せられ、地域では【朝鮮学校を高校無償化の対象とすることを求めるメッセージ展】が、朝鮮学校へ通う生徒への支給について結論を先送りにしたまま『高校無償化法』が施行された4月1日から、桜本のスペースほっと&ほっとカフェで行われた。1か月を予定していた展示会でしたが、展示を観た人から投稿があったり、朝鮮学校に子どもを通わせるオモニ達が見に来て「勇気をもらった」と感想を寄せてくれたこともあり10日間延長して展示がされた。
▽こうした地域の声を受け、朝鮮学校に通い学ぶこども達と保護者の姿に出会うために、映画【ウリハッキョ】の上映会と関係者のリレートークを聴く会を開いた。2時間11分の上映時間の間増え続けた参加者の数は、準備した椅子の数をあっという間に上回り、朝鮮学校に対する関心の高さを実感した。丁寧な作りの映画を観て、朝鮮学校の現実に出会い、涙を流す人が多くいた。
▽リレートークでは、6名の方にそれぞれの大切な思いを丁寧に、お話ししていただいた。その中でもご自身が朝鮮学校出身で、教員をされたこともあり現在お孫さんが朝鮮学校に通う方の「朝鮮学校に通う子どもたちが『朝鮮学校に通うこと』が大切にされる社会こそ、日本にとっても豊かで素敵なことなのではないか」というお話が強く心に残る。お話してくださった一人ひとりの心のこもったメッセージから、参加者の心に共生の種がまかれた。後日、参加者より「韓国ドラマや韓国料理について情報を得たり、語れる場はたくさんあっても、朝鮮学校のことや、無償化除外について考えたり話す場がないので、本当に参加してよかった。」と感想も寄せられた。まかれた種が、それぞれの生活の場で 確実に芽吹いている。
▽無償化を求めるメッセージ展や、今回の映画上映会の企画で、朝鮮学校の関係者から「コマスミダ/ありがとう」との声を聴いた。もちろん、支え合い共に歩む仲間でありたいとの想いは強いが、決して上から目線の朝鮮学校支援ではなく、朝鮮学校に通う児童生徒が、朝鮮学校に通うことで生きづらさを感じているならば、それは生きづらさを感じさせている 自分たちの地域社会の問題だというメッセージを、しっかりと発信する私たち(ウリ)でありたいと思う。そうすればきっと、小さな芽吹きが連なり、多くの葉が広がり栄養をたっぷり蓄え、花開く準備ができるだろう。
▽この夏、参院選後に結論を先送りされている 朝鮮学校への就学支援金の支給が決定した時に、となりで共に「よかった」と喜び合いたい。共生の花が満開に咲き誇る夏を迎えたい。(崔)