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生まれた背景のひとつは、1998年1月に設立された在日コリアン高齢者交流クラブ「トラヂの会」の取り組みでした。「歌を歌おうと紙を渡され、聞いたこともない歌を歌わされ、読めもしない歌詞カードを渡される。おまけに食事は薄味で口に合わない。だから日本の老人クラブには、行きたくない。」という言葉に象徴されるように、日本の高齢者福祉は、自分たちには縁のないものであり、また、魅力に乏しいものでした。彼(女)らにとって、2000年の介護保険は大きな課題でした。「日本の老人ホームには行かなし、介護保険は入らない」と言い放つ在日一世と共に、学習会などを開き、行政への働きかけを行い、「日本で辛酸を嘗め尽くす生活を余儀なくされた在日高齢者の民族的、社会的、歴史的背景を尊重したサービスメニューの充実」を掲げて地域活動を推進しました。公的サービスを利用したことがない在日高齢者に寄りそい、「サービスを使って老いの今を力いっぱい生きる」ということを実践し、それを具体的に支えるサービス提供の必要性から事業所を立ち上げました。サービス内容の充実を図り、「帰れなかった」「帰らなかった」在日一世の日本のふるさとづくりを掲げました。もうひとつの背景は、障がいのある人との共生の課題です。青丘社の地域活動は、こどもたちの世代には民族差別のない地域社会を実現することを目指し、こどもと共に歩む活動が大きな柱でした。活動の当初から、在日コリアンのこどもたちの隣に、遊び場さえ十分に保障されない障がいのあるこどもたちの存在が、私たちの実践的課題となりました。子と親に教えられながら「共に生きる地域社会」を掲げ歩み始めると、成長にしたがって、さまざまな生活課題が提出されます。始めてであったこどもたちも、すっかりおとなになり、居住、労働、余暇などの分野での生活支援が必要になってきます。共に生きる地域社会は、ふわふわした耳障りのいいことばで達成するものではありません、具体的な地域での生活保障を取り組まねばなりません。この分野においても、生活支援部門として。ほっとラインの事業の中に大きく位置づけられました。
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