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つぶやきブログ

 

新年のご挨拶

                     

                     

 

ウリハッキョ(ふれあい館高齢者識字学級)作文集「おもいはふかく」がつなぐ新たな絆~首都大学東京・丹野ゼミ生との交流~

今年6月、ウリハッキョはこの7年間を振り返り、想いをこめて書いてきた「作文」、初めて持った絵筆に夢をのせた「絵」の作品を再編集し、文集「おもいはふかく」を発刊した。この文集は、その後、各地のいろいろな人びと~在日と日本人、学生や市民・・~に草の根で、読み継がれている。文集に日系人の歴史解説を寄せてくださった首都大学東京の丹野さんは、ゼミでこの文集を教科書にしてくれた。この話を聞いたとき、ウリハッキョ生の在日や韓国の女性、日系人の女性は喜び、誇らしげだった。urihaxtukyo1

11月22日、今度はウリハッキョ生の話を直接、聞きたいと丹野さんと学生12名が訪ねてきた。その日は、ビデオ「自分で名前が書きたかった~ハルモニたちの青春学校~」の感想文発表の日だった。在日1世のAさん「じがわからないと、じぶんがくるしいので、べんきょうしようとおもいました」Bさん「せいかつするとき、しやくしょにいっても、じがわからなく、かいてもらったり、つらかったです。・・・いもうとがぶんしゅうをみて“私のためにがっこうにいけなくてくろうしたね”となきながらでんわしてきた」。と、自分の生活史を語ってくれると、会場は静まり、次々に涙の嵐だった。

日系人のCさんも、「一日に金沢八景、五反田、吉祥寺、3か所をまわって、そうじの仕事をしました。」と日本での厳しい労働を語る。10年前、韓国から渡日したDさんは「じをしらないし、ことばもしらないし、ほんとにくるしかったです。ビザがないからとてもたいへんでした」と自らの渡日史を語ってくれた。私自身もその日、初めて聞く生活史もあり、魂がゆすぶられる想いだった。その日、丹野さん、共同学習者の鈴木さんとその日の感動的な交流会の振り返りをし、次回は、ウリハッキョ生の作文に応える形で、学生たちに手紙を書いてもらうことになった。

12月6日、2回目の交流会。在日や韓国、日系人の女性たちは、いつになく、皆いそいそと集まってきた。学生たちは、みんな自分のことばで、ひらがなが中心のやさしいことばを使い、(その後、ウリハッキョで教材にすると言ってあったので)、それぞれの「想い」を込めた手紙を読んでくれた。

urihaxtukyo2Eさんは「・・ふれあい館について、作文の発表会がはじまるまで、わたしはきんちょうしていました。しかし、みなさんのえがおと、元気なすがたでむかえていただき、しだいにきんちょうがほぐれていきました。“これからもここに来なさいよ”と言っていただきうれしかったです。・・」他にも、この「緊張した」ということばは多かった。学校で日本の植民地支配の歴史を学習してきた彼らにとって、生身の在日韓国・朝鮮人との出会いは『生きた歴史』との『貴重な出会い』だった。

Fさんは「ハルモニたちとおあいするのははじめてだったのですが、その文しょうをきいたとき、かのじょたちのあじわったくろうや、ふるさとへのあいじょうなどがひしひしとつたわりました。みじかい文しょうだけれど、こんなに“思い”をのせることができるということにとてもかんどうしました。これはどんなに文しょうがうまくてもなかなかできることではないと思います。つらいこともたのしいこともふくめ多くのけいけんと、ありのままのきもちをあらわすことのできるゆうきがひつようだと思うからです。その人の思いはその人がもっともよくつたえることができると思いますので、もっとたくさんきもちをつづっていただいて、わたしたちにおしえてほしいです。・・」と語ったが、他にも同じような思いを綴った学生が多かった。ウリハッキョ生にとっては、これからも「識字で想いをつづる」ことへ向けての最大級のエールだった。

また、女性たちの経験を聞いて、はるかな日の自分の祖母や、母の姿と重ねる者もいた。しかし、日本人とは違う歴史の重さにも充分に学んでくれた。Gさん「ハルモニたちのふるまいは、わたしのよくしる人たちによくにていますが、その心のおくにあるおもいはちがいます。『ざいにち』としてさべつされ、なみだをながし、日本でいきてきたハルモニたちの心をしるには、まだまだわたしにはじかんもべんきょうもたりません。しかし、すこしでもふれることができたとおもいます。わたしの母が10年かけて母じしんがかわったように、わたしもハルモニたちから『さべつ』についてふかくかんがえ、かわっていこうとおもいました。かわらなければならないのです。」と力強く、むすんでくれた。在日のAさん、Bさんは、こういった学生のことばに涙をうかべ、感動したようだった。

次の週、学生たちの手紙について、皆に感想を聞いたところ、「みんなが自分のことばで、それぞれに語ってくれたことに深く感動した」と口々に話していた。正直言って、ウリハッキョへの訪問見学は多いが、事前から文集を読み、2回にわたってくるようなパターンはなかった。歴史の時間軸と、世代が「違う人びと」が、「出会い」「お互いに学び合う」ことが、『識字の場』であることを、深く心に刻んだ交流の場であった。来年は、学生たちの手紙をウリハッキョの教材にする予定である。これからまた、「どのような出会いと絆が深まっていくか」期待に満ちた1年を終え、来年への糧をつなげたい。(ふれあい館 原千代子)

 

第2回 田島地区こども文化センター対抗カローリング大会

2011年12月3日(土)渡田小学校の体育館で「第2回田島地区こども文化センター対抗カローリング大会が行われました。
ふれあい館(桜本こども文化センター)はさくら・東大島・大島わくわくプラザから13名が参加をしました。cimg2494cimg2489

昨年はすべてトーナメント戦だったので、1回戦で負けてしまうと終わるまで退屈でしたが今年はリーグ戦に変わり、3試合出来るようになりました。みんなが昨年よりは楽しむことが出来たと思いました。今年は各わくわくプラザで、カローリングを知ってもらうために11月の初めにカローリングを体験する日を決めて、行いました。そして、カローリング大会に参加する、こども達集めて、3回ほど練習しました。大会当日はみんな緊張しないと思っていたら「俺、めっちゃ緊張してるよ」と言っている子もいました。1回も勝ってなかったところもあって、すごく凹んでいた、チームもありました。
決勝トーナメントに2チームが参加し、1チームが決勝まで進んで、みんなで応援をしました。結果は残念ながら負けてしまい1位になれなかったことは悔しそうでしたけど、2位でメダルがもらえたから嬉しいそうでした。「来年もカローリング大会に出たい」と言ってくれた子がいました。cimg2499
cimg2501勝つとみんなで喜んだり、負けるとみんなで悔しかったり、友だちを応援したり楽しんだと思います。
こども達の良い顔を見ることが出来ました。
リカルド

 

「キムチ造り」の体験学習

 パランセク ハングルⅢ    内藤  宏efbdb7efbe91efbe81e4bd9ce3828a-028-1
私達・ハングルⅢのクラスは、去る11月15日、教室の調理場で、「キムチ造り」に挑戦しました。大きな洗いオケやボール・食材は、ハングルⅡのクラスの方や先生が中心になって調達しました。当日のメンバーは、先生とクラス全員の他に応援の方を含めて13名でした。
 本番のキムチ造りは、①、前の日に四ッ割りにして塩漬けした白菜を、洗って軽く絞っておいて、②、唐辛子、にんにく、生姜、大根、ねぎ、せり、昆布、林檎、砂糖、鰯のエキス、いかなごのエキス等を、混ぜて小麦粉ののりで練ったヤンニョムを造り、③、絞っておいた白菜の一葉毎に、ヤンニョムを丁寧に擦り込んで形を丸く整える・・・・・。といった内容で、なんとか手順どおりできました。efbdb7efbe91efbe81e4bd9ce3828a-018-21efbdb7efbe91efbe81e4bd9ce3828a-024
キムチを造り終わってから、ボールの隅に残ったヤンニョムを、集めたり拭き取ったりした白菜くず(バラバラになった葉)をお皿に盛り、「おつまみ」にして、缶ビールで乾杯しました。白菜くずの即席キムチは、以外に美味しいと好評でした。 「キムチ造り」の体験学習では、幾つか新しいことを学びました。いつか家庭で試してみたいと思っています。
印象的だったことは、捨ててしまったかもしれない白菜くずや洗い流してしまったかもしれないヤンニョムの残りが、先生のアドバイスによって、内輪での「味見用」や「おつまみ」として、利用されたことです。考え方を、とても身近に感じました。

 

トラヂの会 新潟旅行

今年が最後になるかも」といいながら、毎年行なわれるトラヂの会交流温泉旅行に、今回、47名の大勢の参加をいただき、新潟2泊3日を楽しんだ。(11月28日~30日)niigata-1
 暖かな天気に恵まれ、古い町並みを歩き、おいしい新米をぬか釜だきという方法で、体験し、食した。niigata-2
炊き上がる最中も、秋タンポポやよもぎ、ふきなどの野草つみや、刈り取られた畑の大根葉を収穫するいつもながらの風景がすてきだった。niigata-3
新潟の朝鮮人強制労働の実態を調べる市民グループの皆さんから、発電所の強制労働の現場で、朝鮮人飯場がなだれに崩れ、15名が亡くなられ、慰霊碑が建つ場まで案内を受け、みんなで手をあわせる時を持った。niigata-4満州国から東京までの人と物の流れを作るルート開発、関東圏の電力、動力源として、豊富な水を利用した水力発電、調整池や炭鉱労働に、この雪深い山奥の閉ざされた場で、過酷な労働があり、雪崩の事故や、虐殺などがあったことをみんなで学んだ。すべて山奥でのできごとで、1箇所だけ比較的道路から近い藪神発電所雪崩朝鮮人犠牲者慰霊碑にだけ行くことができたが、犠牲者の名前も明らかにされていない。枯葉に埋もれた慰霊碑をはき、手を合わせた。niigata-6niigata-5